2016-05-10 第190回国会 衆議院 法務委員会 第15号
今回調査では、農村に住んでいる実習生送り出し家庭を訪問しましたが、その際、村には市の海外労務輸出センターが印刷しました海外雄飛のためのポスターが張られており、市政府の後押しを感じました。人材募集のプロセスは、お渡ししました資料の二ページ下の段に書きました。
今回調査では、農村に住んでいる実習生送り出し家庭を訪問しましたが、その際、村には市の海外労務輸出センターが印刷しました海外雄飛のためのポスターが張られており、市政府の後押しを感じました。人材募集のプロセスは、お渡ししました資料の二ページ下の段に書きました。
○魚住裕一郎君 科学技術等の進歩とともに、青少年の夢はやはり将来海外にも行ってみたいという、そういうことも、海外雄飛というんでしょうかね、そういうことも昔はあったなというふうに思います。
そうすると、海外雄飛の夢を抱いて移住した人々が、四十年も五十年も失意のまま終わってしまうというようなことがあっていいんだろうかということを感じます。
まさにこれは、青年をして海外雄飛の道を開き、あわせて善隣友好の実を上げしめんと我々が考えたことが本当に実現できてうれしく存じております。 それと同様に、やはり国際化の日本としては国際機関にもっと人材を派遣せよ、この意見に関しましては私も同感であります。
実業の道にあっては、実業家として一代を築かれた祖父を師と仰ぎ、企業の社会的責任の自覚、海外雄飛の進取の精神、自己を厳しく律する明治人の気質を学び取られたのであります。
私どもは年でございますので古くさいかもしれませんが、戦争前は八紘一宇であるとか海外雄飛、殖産振興というような一つの立派な目標を国全体が孜々に与えてくれました。しかし今私どもは、片方では経済的や仕事の方では困っておりますが、将来に対して明るい展望を少しでも、我々の仕事に従事する人たちに心のともしびをつけてやるのが私ども業界人の仕事ではなかろうかというわけでございます。
いよいよ国際化する日本のため、青年に海外雄飛の門戸を開き、善隣友好の実を挙げしめる――これが青年隊設立にかけた私達の悲願でありましたが、始めて予算が計上され、首相の所信表明の中でその条がうたわれました時、私は思わず本院議席の最前列において滂沱たる涙に双頬を濡らした事を想出します。 所得倍増計画は順調に進みました。
やはり優秀な青年の中には海外雄飛をと、あるいはそしてその国の発展のために貢献したいと希望を持っている人が意外といるかもしれない。しかし、そういう方々がそういう方向へ目が向かないというところに、あるいは学校教育の中にも余りそういった問題についてのきっかけが起こるようなお話というものはないのかもしれません。
○説明員(賀陽治憲君) 海外移住につきましては、御承知のように客観条件の変化というものの影響を免れないわけでございまして、戦後の生活水準の向上というものに伴いまして、やはり海外移住の量的な面におきましては、従来に比しまして、従来ほどのペースでは進んでおらないということは事実でございますけれども、同時に、日本人がこれだけの頭脳と識見を持ってこの人材を海外に供与するという観点からの必要性、さらに海外雄飛
「(1)体力が衰弱し、海外雄飛力を失う。」「(2)農業の衰退が国民を衰退に陥れる。」「(3)輸入のみに依存している。」、こういうようなことを列挙してあるんです。これが第一の論点だ。第二の論点として海洋のことを書いてあります。第三としては、これはまことにお恥ずかしい話なんだけれども、日本の現状とよく似ている。「トルコ風呂が流行している。」「経営者の社会奉仕精神が衰微している。」
「海外雄飛……果ては短銃強盗 川崎の青年、ハワイから追放」という、これです。これにはやっぱり朝日は、「この工員は、もと川崎市に住んでいた菅野」——これは何というのかな、「薫」、ちょっと印刷がはっきりしない。それからあとの報道も、「菅野の車は」だとか、「菅野は車の窓から」だとか、「帰国した菅野に」と、いわゆる被告人扱いしておるのです。
しかし、私は若者の一人といたしまして思うのでございますけれども、一部の人たちに見られるような、いつまでも悲劇を主人公とした排他的な、そして嘆きに打ちひしがれているような感覚から早く抜け出して、かつての沖繩の県民が南米に、そして北米に、またハワイと海外雄飛されたあの開拓者魂そのものを発揮して、県民一体となって日本復帰に臨まれることを願うものでございます。
だから戦前において東京高等商船あたり、これは逓信省の所管てあったということ、これらのことは——私はそういうように何も戦前のことはすべていいが、いまの教育がいけないという意味合いじゃないけれども、いまここで二千五十万トンという大量の新船をつくって大いに海外雄飛しなければならぬのに、一体要員の需給計画はどうだ。
○坂田国務大臣 私の熊本県は、昔から海外雄飛の県でございまして、先覚者たちがブラジルその他の方面に大いに活躍をされておることは承知をいたしておるわけであります。しかしながら、今後移住問題あるいは人口問題の上からどう考えていくかということにつきまして、国としては、まだ私は的確に考えが定まってはおらないのではないかというふうに考えるわけでございます。
中国山脈の奥深い山村の零細な農家の長男であった先生は、働き手として家を継ぐ境遇にありましたが、ひそかに海外雄飛を志して、高等小学校卒業後、進んで岡山県立農学校に学ばれました。しかし、在学中におとうさまをなくされた先生は、志を捨てて帰郷のやむなきに至り、明治四十年同校を卒業した後、僻地ともいうべき郷里の小学校で児童教育に当たられることになりました。
高等小学校卒業——私が満十三歳というのは、満州開拓義勇軍を対象としたわけではありませんけれども、当時非常な熱意を持って外地に渡った者が、小学校、義務教育を終了して行かれた方々もたくさんありましたということが、私の念頭にもありましたし、海外雄飛の気持ちに燃えた若人が十三歳であったということから、そういう線も出たわけでございます。
しかるにかかわらず、やはり日本人の血液の中には、海外雄飛の志が非常に強くあることもまた事実でありまして、最近におきましては、いわゆる平和部隊の構想のごとく、りっぱな青年男女が東南アジアの各地にも行っておられるわけであります。
ただいま私が述べましたような各点に、さらに私どももっと正確な、正しい認識を持ってそういう意味からの指導、これは絶対に必要なんではないか、同時にまた国民の意欲にこたえる、海外雄飛というようなその気持にこたえるだけの施設をしてやらないとなかなか効果をあげかねるのではないか、かように思っておるのでありまして、ただいま移住局長等からも詳細に実情の報告があり、また白木君自身みずから数回にわたって現地を視察しておられる
私も今大臣の御説明で大体了解したんでございますけれども、しかし、もっと大きな問題を、外務省だけの問題ではなくて、国民全体にこの海外移住観、いわゆる海外雄飛、進取の気性、その海外移住というのは、食えないから移住するんではなくて、これからこの法案の説明書にもありますように、大いに平和部隊として行くのだ。